愛称:「奇跡のハンマー」の由縁    



愛称:「奇跡のハンマー」の由縁 その1

以前、ハネ物の集客に手こずっていた、北陸地方のある店のできごと。
地域断然稼動トップのお店でもハネ物(2列40台)だけはいまひとつ。日夜、意見が交錯して収拾がつかない状態で1列に減台しようとか…
2列を維持するならば、まとまった台数で新台入替をとか…
悩んだ挙句、テレコなんかとんでもないと罵声を浴びせる者もいた。

ところが最終結論は以外や以外。2列を現存の機種のままで使用、2~3台間隔で、テレコで40台営業を決定。機種も多様に今でいう○○○コーナである。

ただでさえ、テマのかかるハネ物をテレコ40台の調整は大変。まだあの頃は釘調整を神秘に感じていた時代。いっきに調整に一躍をかったのが、このハンマーだった。

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天釘、寄せ、サイド釘、三角釘…特に複雑なハカマ調整なども手際よくスムーズに捗ったのだ。翌日からの営業に奇跡が起きた。人口27,000人ほどの小さな町…歩いて5分の距離に3店舗、車で15分半径に12店舗もある激戦区であった。朝から50%、昼には70%~80%、午後は夕方まで満席…単独店舗の設備の老巧化した店である。

「このハンマーのお陰」であると思っている。正に角度とピッチの調和を「玉のナガレ調整の中で捉える事」に専念した成功の証であった。奇跡を呼んだハンマーである。



この時の特殊な調整法にも秘訣があった。競合とは同じ釘にしないという調整の独自化である。年末年始とお盆の他は「生命釘は大きく開けたまま触らず」 「○○釘だけで調整した結果」が1年中、稼動の満席をもたらしたのである。

それからというもの、この店舗にはあっという間にプロの釘師が5人もいて、専門性を競い合っていた。

ある時、他店の部長が閉店後の1時頃に用事があって来店した直後…
5人の釘師が真剣な眼差しで機械に向かっている真摯な様子に感動して突如涙した。それも大粒の涙である。
こぼれ落ちる涙を手で拭いながら「みんなを見た瞬間、ただ羨ましくて…涙が込上げてきて…抑え切れなくて…凄いですね…どうすれば、こうなるんですか?…」

かって、いつの時代も見たことのなかったこのような意外な光景は、この店ではごく自然なことに過ぎなかった。しかしこの事実は奇跡のできごとのように、今も美談として語り継がれている。

生死をかける暗黒の時代に生き残る術が、ここにもあるような気がしてならないのである。その時から主張してやまないのは、1店舗に作戦、企画、リーダシップのできる店長級3人=釘師3人=お客様の心筋を潤す接客師3人の養成である。これが今日、低迷店再生の人間力となっている。

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by pyuaraito | 2007-12-09 02:04 | 釘の家庭教師

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