客さえつけば、よい釘というなら、大量出玉に恵まれている店舗の釘はみんな良い釘か   





釘のこと、こんな嘆きをよく耳にしませんか


釘の学校を行かせたのに、釘をつくることができない

計数管理は、まずまずなのに釘調整はできない

定規をあてたり、板ゲージを使ったりで躍起になっていますが釘がガタガタ


確かに、このような人が少なくないようです。
計数の計算は、うるさいのに釘は無関心。
それに釘調整があまりにも画一化されていると思いませんか。
釘定規で測って判るのは角度。ゲージで判るのはピッチです。

しかし、定規を使っても、板ゲージを使っても
釘が乱雑なのは何故でしょうか。
釘に慣れていないということだけなのでしょうか。
勿論、釘調整には慣れと経験が大事なことは言うまでもありません。

しかしかたくなに、定規をあて続けたところで、
理に適う釘、釘と玉のナガレの論理に当てはまる釘ができるとは断じて言えません。
見た目は綺麗な釘でも、ナガレの論理が目茶目茶なばかりに

客心理にストレスを負わせるような釘は汚い釘に他なりません。

汚い釘とは「キレイに見えるだけで、道理に合わない乱雑な釘」のことで、とても理に適う釘ではない釘のこと。なにも綺麗な釘が最高の釘とは言いませんが、釘と玉のナガレの論理に合わない釘ならば成績に貢献しがたいものです。

生死をわける過当競争の今日、余ほどの余裕がない限り、時間は待てないものです。また、釘の違いをデータで判別するのには限界があります。


なぜこのような深刻な事態が派生しているのか、お分かりでしょうか?
データが良ければ釘が良いと短絡的に判断したり、単なる他者のゲージの写しに依存しがちな調整体制では問題は解決しません。それは定規で角度を測ったり、板ゲージをあてても、「玉の流れ」は調整できないからです。

ここに最大の要因があるからです。

玉のナガレは店舗の立地と客層、競合の関係とか交換率、また何よりも機械の様々な特性とか稼動によって、異なるからです。それを生命釘の大きさとか定規とかで流れを整備するには甚だ限界があるのです。また、玉のナガレの性格を把握できずに、これらを調整するのは不可能と言うしかありません。

今や調整の裁きを論ずる時に「玉のナガレのゲージつくり」をないがしろにして、
生命釘のあけしめをしたり、ある箇所の角度を変えたり、ピッチを揃えただけでは
「機械の持ち味」は生まれません。逆に自分をコントロールできない混乱さえ招きます。

だからお客を遊ばすことが使命である筈の釘師が
お客の手中で遊ばれていることに気づかない事態が発生しているのです。
このような状況のなかではとても、利益をコントロールする手段を安易に任せるわけには行かなくなるでしょう。

しかし現実は誰でも釘師。とりあえず釘師。
いきなり釘師が現実にまかり通っているのが現実です。
いつまで経っても「にわか釘師」、いつまで続けますか。
スタート調整も単なる生命調整にゆだねる単純行動の
弊害から脱皮しなければなりません。

問題は釘調整が生命釘調整ではなく、玉のナガレ調整であるからです。
まさに玉のナガレ調整が生命に密接な関連と妙味を引き立てる
決定的な役割をする訳ですから、この状態をほっておく訳には
いかない大事なテーマと言えるでしょう。

まして、最近ではメーカが釘に関わらなくなって、
勝手気ままな釘が横行したり、ゲージ表の配信会社や
ブローカのアドバイスに依頼したり、右往左往と奔走するなど、
場当たり調整が氾濫しているようです。これではいつまで経っても、
自分独自の釘を見つけ出すのは到底不可能になるでしょう。

こんな状況だからこそ、
「自分で探せるゲージ判別」「自店の特色あるゲージ構成」づくりが
できる人材が切迫しているのだろうと思います。


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by pyuaraito | 2007-12-21 13:32 | 釘の家庭教師

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