立ち飲み屋にはいろいろな表情がある。なにせ、庶民の味と庶民の顔ぶれである。   


急な予定変更でひとりで外食する羽目に、
こんな時には赤垣屋だ

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(大阪では立ち飲みやとしては有名、
全国初の立ち飲み屋がここから始まった。
1923年創業だから[83年も立ちっ放し!]である・・・すごい)

カウンターはぎっしり詰まっている。
ぎっしり詰まっているのに、すき間に入り込む。

「生!」「ハイよ!」
言葉が短い。ただこれだけだ。

「いわしの天ぷら!」「ハイよ!」
余分な付けたしがいらない。

これがいい。
この会話の繰り返しが頻繁に飛び交う

でも立ち飲み屋にはいろいろな表情がある。
なにせ、庶民の味と庶民の顔ぶれである。

庶民の代表が来ている。
なのに、飾らない。
でも代表である。

酒飲むひとの表情も様々・・・
いっきに見えるのがいい。
たって飲むからか、飲みっぷりがハッキリする。

「生!」「生一丁!~~~」
その合間に「ねえちゃん!熱燗!」は、やはり定番である。
しごく、たま~~に「紹興酒~~~!」って、くると・・・悪げはないが顔を見てしまう。

「にいちゃん!ひれ酒ちょうだいな」「ひれ酒一丁!~」は何と響きがいいんだろう。
くそ!参ったなあ、俺もこれ味わってみよう・・・と、ひれ酒をたのんでいた。
何も、ふぐ屋のひれ酒とは雲泥の差とはわかっていても・・・

立ち飲み屋はお客の回転が速い。
しかし、そのせわしさにお構いもなく、黙々と自分の世界に慕っている。

テーブルがないから人とひとをかき分ける。
ひとりのスペースが肩幅もあれば十分である。
ピークになると、肩幅が半分に縮小される。
自然と体が斜めに傾いているからだ。
何でこんな窮屈な思いまでして、立ち飲みに通うのであろうか。
ただ安いからだろうか。
立ち飲みには座って飲める居酒屋とは違う風情があるようだ。
わたしも時々座って飲めるのに、立ち飲み屋に行く。
みんなカラダを寄り添うようにしていても、独立した肩幅の世界がある。

1000円で飲めるって立ち飲みやしかない。
1円で遊べるのもパチンコ屋しかない。
今までは100円で25個,1000円で250個なのに
いきなり1000円で1000個はすごい・・・

ただ、立ち飲み屋に負けているのは
人とひとが寄り添う風情である。
パチンコやも庶民の娯楽であるには
安いだけ???ではならない、風情???というモノがほしい。

そういえば、昔・・・
オヤジに連れ添って行った立ちっ放しの手打ちが懐かしい!


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by pyuaraito | 2007-12-30 10:09 | 弱小ホールの悩み

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